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Oct 26 2009
幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。
— トルストイ

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Oct 19 2009
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10年以上前につくったもの。

Oct 18 2009
原理主義者は「リソースは無限である」ということを前提にして、至純にして最高のものを求める。機能主義者は「閉じられた世界、有限の時間、限られた資源」の中で、相対的に「よりましなもの」を求める。
— 内田樹『こんな日本でよかったね』(文春文庫)p.95

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世界中ほとんどすべての社会集団で、服喪、産穢、月経などが「穢れ」に類別され、untouchableとされる。
これはいずれも「死と性」にかかわる人間的事象である。
こういう問題について、軽々に「女性は人類発生以来、あらゆる社会で差別されてきた。それが女性の社会進出を妨げてきた」というふうにくくって済ませる思考の硬直性を私は評価しない。
そもそも「社会進出」というような概念は近代(ほとんど現代)になってはじめて出現してきたものである。
いまの私たちを共軛している「ドクサ」を基準にして、人類史全体を俯瞰できると思うのは愚かなことだ。
それは「いま・ここ・わたし」が人類史の知的最高到達点であるというエゴサントリックなイデオロギーを表白しているにすぎない。
— 内田樹『こんな日本でよかったね』(文春文庫)p.73

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欲望がコミュニケーションを起動する。
コミュニケーションには三つのレベルがあると看破したのはレヴィ=ストロースである。
すなわち「女の交換」(親族形成)、「記号の交換」(言語)、「財貨・サービスの交換」(経済活動)である。
— 内田樹『こんな日本でよかったね』(文春文庫)p.67

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呪術の目的は攻撃と防禦とにある。その最初の方法は呪的な言語によるものであったが、それが表記形式に定着したものが文字であった。開かれた祈りは告であり、隠された祈りは書である。
— 白川静『漢字百話』(中公文庫)p.44

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母語運用能力というのは、平たく言えば、ひとつの語を(場合によってはひとつの音韻を)口にするたびに、それに続くことのできる語の膨大なリストが出現する……というプロセスにおける「リストの長さ」と「分岐点の細かさ」のことである。
— 内田樹『こんな日本でよかったね』(文春文庫)p.48

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創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される。自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず「次の単語」が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られるのは論理的で美しい母国語が骨肉化している場合だけである。
— 内田樹『こんな日本でよかったね』(文春文庫)p.41

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学才なき人の書は見るにたらず。いはんや代をさりてむかしを慕ひ、国を隔ててその体を学ぶにおいては、学才なき人は見識もひらけず、その書おのづから俗態をなすもことわりなり。もし詩文をよくせずとも、実に書をこのむとならば、その典刑とする法書を見、論譜を読て、古人の心を用ゐたるおもむきをもたづぬべき事ぞかし。
— 沢田東江(書家)『東江書話』

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作家はその作品を通じてはじめて自分の位置を知り、自分をかたちにする。作品より以前に、作家は自分が何ものであるかを知らないばかりか、何ものでもない。作家は作品のあとにはじめて存在し始めるのである。
— Maurice Blanchot

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